キングダムの中でも特に人気が高いのが合従軍編ですよね?
そんな合従軍編では、戦力が最大規模とあって、少々ややこしく感じる人もいるはずです。
そこで今回は、キングダムの合従軍編の中でも、李牧が描いた秦攻略の作戦について見ていきましょう。
ちなみに、合従軍編は単行本24巻の終わり~33巻までです。
李牧が描いた秦攻略作戦
それでは、李牧が描いた秦攻略作戦を見ていきましょう。
大きく見ると、李牧は合従軍と別動隊の2手に別れて秦国を攻める作戦を立てていたことが分かります。
そして、この別動隊は合従軍にも秘密にしていました。
言い方を変えれば、合従軍を囮にして別動隊で秦国を落とそうとしていたわけです。あわよくば、合従軍も秦軍を破って挟撃という形を取りたかったのでしょう。
簡単に解説すると、李牧の戦術は
①合従軍で函谷関を抜ける
②函谷関は楚軍と趙軍で秦軍を倒して裏から魏・韓を引き入れる。燕は足止め役
③これらを囮として、別動隊を用意
合従軍の軍勢を整理しよう!
まずは大規模すぎる合従軍の軍勢を整理してみましょう。
秦国は、自国以外の全国(趙・楚・魏・韓・燕・斉)の6か国が同時に攻めてくる未曾有の状況に対して、斉を離反させることで合従軍に一矢報いました。
これによって、残りの5国は後方に斉という憂いができた状況になったわけです。
この作戦のポイントは、合従軍に時間制限を設けたということです。合従軍は遠征してきているので、食糧問題もあり、長くはもちません。それに加えて、背後に敵国である斉が控えていることで、大軍をずっと秦侵攻へ向けられなくなったわけです。
例えばですが、この合従軍が秦を攻めている時に、斉が軍を起こして他国を攻めれば、いつもよりも簡単にその国の城を落とすことができるわけです。
時間制限が出来たとはいえ、合従軍の数の優位は変わりません。秦の国門である函谷関は尋常ならざる城門がそびえ立ちます。
合従軍の勝利は、この函谷関を超えなければなりません。そこで、正面突破を担当するのが、魏と韓になりました。
函谷関は山々に囲まれているので、この周囲の山を迂回して函谷関の裏へ出る役目を燕と趙が担います。
楚は、正面と趙の間に大規模展開をして、正面からでも迂回ルートでもどちらでも行けるように布陣しました。
こうして、合従軍の函谷関攻略が始まったわけです。
趙は戦場の端っこ
先ほど簡単に解説しましたが、趙は燕とは対極側の戦場の端を担当しています。
こちらも目的は山を迂回して函谷関の裏を取ることでしょう。
しかし、李牧にはそれ以上の目的がありました。
それが、別動隊の存在なわけです。
秦国の王都である咸陽を攻めるには、2つのルートがあります。
1つ目のルートが函谷関を抜けるルートです。もう1つが南道ルートなのですが、こちらは道が狭くて険しいため、一般的ではありません。
だからこそ秦の防衛網も函谷関へ集中しました。
李牧はここに目を付けて、全ての目を合従軍と函谷関へ向けさせ、自分達は密かに南道ルートへと別動隊を送っていたのです。
結論を言ってしまえば、結局合従軍は函谷関を抜けることは出来ませんでした。
李牧は、函谷関を抜けることが出来なかったことを予測していたのではなく、万が一のことを想定して、戦闘開始早々から、別動隊を送っていたのです。
先読みの天才ですね。
函谷関攻防戦での李牧の作戦
それではここで、李牧が描いていた函谷関攻防戦の作戦を解説しましょう。
先ほども解説したように、李牧は函谷関の正面を魏と韓に任せていました。しかし、魏と韓で函谷関を落とせるとは思っていなかったはずです。
それほど、国門である函谷関は高くて頑丈なのです。
しかし、李牧には絶対の信頼を寄せる楚がついています。楚には武の象徴でもある汗明がいます。
汗明を正面から倒せる将軍なんていないと李牧も思っていたはずです。
つまり、楚軍によって秦軍の数を減らして、更に自身が信頼する趙軍も秦軍を撃破!趙と楚が山を超えて函谷関の裏に回って、正面を攻める魏と韓を引き入れる作戦だったのではないでしょうか?
函谷関からやや離れた山を攻める燕軍は、そこに一部の秦軍を足止めする役割があったのだと予想できます。
李牧としては、こうした函谷関攻防戦での作戦もあり、更には別動隊も使って秦国を滅亡に追い込むつもりだったのでしょう。
李牧の思惑通りにはいかないまでも、楚の第二将である媧燐によって、函谷関は陥落寸前まで追い込まれましたね。
別動隊は秦軍にバレなかったのか?
さて、話を別動隊に戻します。
先ほども申したように、結局合従軍では函谷関は抜けられず、後は別動隊頼みとなりました。
それでは、別動隊は秦軍にバレなかったのでしょうか?
これは作中でも言及されているのですが、元々合従軍と秦軍の戦力差には大きな開きがありました。
肌で感じる戦力差はせいぜい倍程度だと言及されており、それ以上の差があれば、具体的にどのくらいの差があるのかは分からないとのこと。
それはそうですよね?正確な数字なんて分かるはずもありません。
つまり、相手の数が多少減ったところで気がつかないということです。
ましてや戦いは常に変化します。それは相手の数もこちらの数も変わるため、相手の数が極端に減ってもこっちたそれだけ倒したと勘違いすることもあるでしょう。
そういうことを李牧は読んだ上で、別動隊を送りやすい端を自分達の持ち場に選んだわけです。
合従軍は史実ではどうなった?
李牧が立てた作戦は分かりましたが、実際の史実ではどんな感じだったのでしょうか?
実際に函谷関攻防戦は歴史上起こっており、合従軍も何度か起きています。
キングダムで登場する合従軍は、歴史上最後の合従軍のことを描かれていると言われています。
実はこの戦い、書物でははっきりとした描写がなされておらず、どういった戦いが起きたのか不明なんです。
つまり、キングダムで語られるこの戦いは全て、作者である原先生のオリジナルストーリーということになるんです。
すごいですよね?オリジナルでここまで壮大な戦いを書けるんですから!
ただ、この別動隊自体は本当に存在したらしいです。
一般的に言われているのは、既にこの最後の合従軍の頃には秦の一強時代だったようです。楚は大国でしたが、土地が荒れ果ており国力としては下の方だったと言われています。
故に、他国が組んで攻めてきたとしても、秦の敵ではなかったのでは?というのが大方の見解のようです。
実際どうだったのかは分かりませんが、この頃の秦の暴威を食い止めることができたのは、李牧くらいだったと言われているので、やはり秦の一強時代だったのでしょう。
ちなみに、合従軍の頃李牧はまだ北方の守備隊長みたいなことをやっているので、史実ではこの戦いに参加していません。李牧が本当に活躍するのはもう少し後なんですよね。
まとめ
今回は、キングダムで李牧が描いた合従軍の戦略について簡単に解説してきましたが、いかがだったでしょうか?
最大規模だけあって、ちょっと分かりにくいこともあるかもしれませんが、李牧が合従軍を囮に使っていたのにはビックリしましたよね?
今回の記事を参考に、もっともっとキングダムの魅力に触れてみてくださいね!


